宮田事務所

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芸術家になりたい


‪なれないものになりたいと言ってるような気がして、隠してきました。恥ずかしいことなんじゃないかとか。大人になればなるほど、歳を食えば食うほど。多分、子どもの頃からの夢です。色々なりたいものはありましたが、私はこの世の何よりも芸術が好きです。つまり、「物を作る人になりたい」。‬

 

‪しかし、人の目や人の意見に流されてきました。「怪しい」「職業じゃない」「実績もないのに」など、誰かをネットで叩いている人たちのような言葉を想像しました。そして、それが正しいと思っていました。‬

 

‪だから嫉妬していました。‬
‪同年代で活躍する各分野の作家の皆さんのアラを探したり、"いやいやそんなのでどうやって食べるの"とかそんなくだらないことです。プライドがあるから、嫉妬だとは認められませんでした。ただただ、よく見もせずに批判するだけ、不機嫌になるだけ。とても恥ずかしいことです。そうは分かっていても、未だに嫉妬してしまい、素晴らしければ素晴らしいほど焦りを感じるところはあるのですが。‬

 

‪私はあまり話すのが得意じゃないので社会や人と繋がるのがすごく苦手です。緊張が解けないと、うまく話せません。話せる振りはできます。それは私の失敗による経験の技術であって、本当に思っていることを言葉にすることは出来ない方が多いのです。‬

 

‪それでも、人々が言葉を話すように、愛情だとか不安だとかを形にしたいと思っています。人と関わるのは苦手ですが、人と出会うのはとても好きです。人が好きなのです。色々な人に出会いたい。だからそのツールをずっと探して続けてきました。そして沢山の寄り道をしました。‬

 

‪特に印象的なのは大学院です。‬
‪私は言語学を専攻し、言語の基礎研究ではなく、「言語芸術」を追求することにしました。もちろんそれは好きだからです。その中で、絵本を研究対象にしました。教育学、あるいは文学的な要素が強かったそれまでの絵本研究で、記号学的や認知科学的な研究をするのは、当時としては新しいものでした。だからこそ研究は難しかったです。切り口を見つけたと確信したのも、入学してから6年目で、退学する1年前のことでした。‬

 

‪切り口を見つけたのに辞めたのは、本当の意味で研究者になりたいと思っていなかったからです。指導してくれる恩師に恩返しをするため、見て見ぬ振りで応援してくれる親や家族のため。自分のために、自分の欲望を追求するために研究したいという動機ではありませんでした。‬

 

‪そして長く辞めずにいたのは、「芸術に関わっていたかったから」でした。芸術の研究をしていれば、自分は芸術の世界に少しだけ足を踏み入れているんじゃないかと思っていたのです。こういう形なら、かっこいいんじゃないかなとか、そういう見栄もありました。それでも研究できなければ、研究の世界に身を置くことはできません。私は研究できませんでした。‬

 

‪もっと素直になりたいと思うようになりました。偽りのない自分を知りたいと思うようにもなりました。最初はそんな自分が恥ずかしくて、直視できませんでした。でも、間違ってないという確信はありました。幸せは、そういうところから始まるに違いないとも。どれだけ子どもっぽい欲求だったとしても、自分は何がしたいのかを、恥じずに直視することが、幸せの手がかりだと思ったのです。‬

 

‪それから色々なことに挑戦したり辞めたりしたのですが、それら全てを今は"足踏み"という意味の寄り道だとは思っていません。それではあまりに自分が可哀想です。そういうのは嫌いです。もっとスムーズに行く方法はあったかもしれないし、若くして芸術の世界に行けたかもしれないという気持ちはあります。勇気も度胸もなかったことは本当です。それでもそれが自分ならば、過去も今も含めて認めるしかありません。これでいいんです。‬

 

‪今はこうして宣言している以上、特に迷いもありません。それから、お金が一番の目的じゃないということにも気づきました。今まで、自分とは縁遠いと思っていた「作品」を作りたいのです。「商品」でもなく、「作品」です。だから、刺繍のネットショップはやめにします。売るために見せたいとは思わないからです。‬

 

‪代わりに、作品集のホームページを作ることにしました。欲しい人がいれば問い合わせしてもらえばいいという形で。基本的には私が好きな物を作り、アップロードしていく作品集にしようと思います。それが一番等身大な気がしますし、ある意味、ネットショップよりも身の丈にあっています。‬

 

‪そういうわけで、頭がスッキリしたなという話でした。しっかり芸術に寄り添って生きていければ、幸せです。‬