宮田事務所

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ともだち

久々に会う友人と話した。私は最近、ちょっと辛いことがあった。どうしようもなくなって、この友人の手を借りることにしたのだ。

よかった。楽になった。

色々説明しながら涙がぼたぼた出てきてしまった時に、私の手にアロマを一滴落として、擦り合わせてくれた。ワイエルジョイのいい匂いだった。頭を使わないとはそういうことだ。感じるとはそういうこと。忘れてた。一生懸命だったから、必死になったから、コントロールしたくなって、頭を使っていたのだ。

映画が好きだ。物語が好きだ。幼い頃からの習慣だったし、物語の世界は私の中でルールだった。こうあるべき という世界。

目の前の現実もそうだと思っていた。こうあるべきという世界じゃないと、腹が立った。義理人情仁義礼。それは正義だとも、美だとも思っていた。でも、映画は私の人生じゃない。私の物語じゃない。忘れてた。色々な人がいるのだ。当たり前のことを忘れて、目の前の現実をいつもコントロールしたかった。うまくいかないと苦しかったし、うまくいくと誇らしかった。そうした波の中で、一貫していたのは「疲れ」だ。

もう一度言うと、私の人生は映画ではないし、出来上がった物語でもない。
私の人生は私の人生だ。生きた現実で、現実はナマモノ。可塑、変化は当然で、本当の本当には予測できない。人も出来事も世の中も。出来ると思っていたのだ。映画は現実だと思っていたのだと思う。

匂いはダイレクトだった。考える隙間もなかった。疲れた脳みそに、花の優しい匂いはダイレクトに伝わった。論理も合理もない。匂いがあるというだけ。いい匂いは、楽だった。ありがたかった。感じるというのは、頭を使わないことだと初めて知った。

時々そういうのが必要だと言われた。物語を生きてるわけじゃない。生きてるから生きてると。主人公じゃない。あなただと。人間として生きるのだと言われた。答えなどないことはいくらでもあるのだ。混乱したら、匂いをかぐといいとも。

いい匂いの手でこの文を作っている。
忘れたくないからだ。明日にはこの匂いは消える。匂いはまた買えばいい。この気持ちを忘れたくない。ありがとう しほさん。だいすきだよ。