宮田事務所

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全体的にお風呂でそう思っただけの話。

なんか、努力しない方がかえっていろいろ起きるような。何かを変えようだとか、手に入れようと、もがいてうまくいった試しはあっただろうか?

 

そういう言葉を頭に置きながら、こう思ったんです。

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いつもどうすればうまくいくかしか考えてないなと思った。それから、失敗することを考えるのは、悲しくて辛いので、これまた考えないようにしているなとも思った。いつも良いイメージだけを信じている。希望にもなるし、目標にも、励まされる材料にもなるから。

 

だがしかし。

私の場合は同時にとてもつもないプレッシャーになる「良いイメージ」という存在。性格的にも、ADHDってところから考えても、異常に神経質になったり、完璧主義というか、細いところに強いこだわりを持ちやすい。欲を出していい結果になったことはない。

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それって、気持ちよくない。

 

気持ちいいか、気持ちよくないか、それが重要だな と、シャワーで浴室全体を洗い流しながら結論付けたのです。大事なことだぜと。

 

失敗しないようにすればいいじゃないかって思うと、妙に心が軽くなりまして。なぜなら努力しなくていい。

 

気持ちいい努力と、気持ち良くない努力と、努力にも2つあるような気がします。不相応な努力は失敗を生むわけですな。しかし努力はしてるから、行動が不相応にもかかわらず、気持ちは辛いと。気持ちいい努力は、本人はむしろ努力と感じてないことの方が多いのでは。でも力になるようなことをしていて、緊張感はあるけど楽しい、とか。(もちろんそればっかりじゃないけど)

 

長い人生、何をそんなに苦しむ必要があるのさ?と思ったんです。私は失敗の経験が多いからそう思ったのかもしれないです。失敗しなければいいならば、むしろ逆にどうすれば失敗するかを考えればいいのね~と。ゆるくね。これだけはしちゃいけないっていうのだけ決めて、それ以外は何したっていい。

 

そうしたら気持ちいいだろうなあと。

 

私はタモリ井上陽水が好きなので、ああいう怪しくて、掴みどころのない、タンポポの綿毛のようにいたいのです。好きなものを何となく追いかけて、ふにゃふにゃと、誰かを批判することも肯定することもしない。誰だって何だってどうでもよくて、あーこれはいいなあと思いながら何かを口にしたり、手にとったりして、これまた何となく仕事しながら暮らすという。あれはあれ、これはこれって考えながらね。

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まぁまたこんな話も寝たら忘れるかもしれませんが。今日そう思っただけのことです。