宮田事務所

portfolio. kotolico is here.

ポートフォリオ的なものを

胡鳥子(ことりこ)です。初めまして。

胡が苗字、鳥子が名前です。

あちらこちらに色んなものを書いています。

 

ここは、私の日々の色々を集めて記録するポートフォリオです。メッセージなんかも全然ない内容なのにも関わらず、見に来てくださり、ありがとうございます。

 

お!これは!と、何かを見つけたり、思ったりした日に更新する予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

 

それではまたのちほど!

 

になりたかったけど、違った。

30歳の時に、一生続ける仕事をしようと思った

 

と、言ってそれまでしていたいくつかの仕事を辞めて、福岡から東京へ行ったのはタモリさん。

 

もちろんタモさんは好きだけど、タモさんが好きだから覚えてた訳じゃなくて、その時の私が29歳で、その時の仕事は別に好きじゃなかったから。毎朝、仕事に行くための化粧が辛かった。29歳の夏に企業のホームページの一部に文章を書きませんかの応募をしたら受かった。文章でお金を貰えることは夢だったから、嬉しかった。見ないだろうなと分かってたが、家族にこんなとこでこんなこと始めた!とメールした。タモさんの言うことは、私も望んでいることかもしれないと思ったのだ。

 

そっから頑張って仕事を増やして、とりあえずは毎日仕事ができるようになった。ありがたい。そして分かった。

 

書くのは好きだが、発信する機会をもらうのは難しい。頑張れば、仕事はもらえる。アピールすれば、機会ももらえる。ただ、やはり未消化な気持ちは残る。当然なんだけど、始めたばかりで満足いくような、そんな簡単な話じゃない。何か目標がなくてはならない。そして、始めたら最後までやり切る、地味で地道な力。

 

文章の仕事は何でも好きだ。文章が好きなのだ。自分にも誰にも、私が嘘をつかずに済むのは文字だと思っている。でも苦手なこともある。見知らぬ情報を、見知らぬ人に伝えるのは苦手だ。特にインスタントな、その場限りの文章の作成は苦しい。苦労のわりに報われないことが多いからだ。ウザいのは分かってるんだけど、やっぱり一から作るのであれば、どこかに愛がほしい。書いたのは人間。ウェブ宇宙の塵にはなりたくないのだ。母から生まれて、育った今の自分だ。私が書いたからどうこうというよりも、”誰かが書いたんだな”と実感し得る文章への愛がほしいのだ。わがままかもしれないが。デジタルな文章になりたくない。

 

この気持ちを、やはり文章で形にしたいなーと漠然と思うようになった。そしてそれには、自分の特性を知ることが必要だと分かった。

 

ほんの少し、文章のコンサルティングみたいな仕事をした。とある文章を学術論文に直すことが当初の目的だった。レポートに近い文体、内容だったので、よりアカデミックな内容や文体に体裁を整える。相談に乗り、提案して納得したら進む。その繰り返しでうまいこと文章は仕上がった。学会に発表した連絡がきて、私もホッとした。それは自分の性にも合っていたと思う。

 

昔は、作家だとか、詩人、エッセイストになりたかった。むしろこうした作家の道だけが、自分の目標だと思った。今の「幅広い文章という仕事」を始めてから、作家だけではないんじゃないかと納得できるようになった。そして文章が好きだから、文章に関わる仕事なら何でもできるとも思っていたが、それも違った。

 

今達成したいことは、母を著者として私が編集で、本を出すことだ。

 

母は、私の生まれ育った街の、福祉介護の礎を作ったパイオニアだ。看護師から始めて、保健師になり、役所勤めの中で見た福祉介護の重要性に気づき、40を過ぎてからケアマネジャーの資格をとった。そして役所の各所に訴えて介護福祉センターという小さな部署と事務所を作った。ほとんど一人で街の介護福祉の根本的な問題に取り組み、問題を提起して、解決に導くよう働きかけをした。少しずつ評価され、地元の大学や高校の講師や、各所で講演もしている。最終的に、大きな老人ホームで、地元では初の女性所長として働き、定年退職した。それでも、今もまだどこかの病院に依頼されて働いている。本人は辞めると言っているが、それももう何年にもなる。

 

私は小さな頃、そういう働く母が嫌いだった。20数年前は、子育てしながらの共働き夫婦という形は少なく、幼稚園や学校から帰ってお母さんがいないというのが珍しかったのだ。今でも幼少期の記憶は、お母さんが家にいないというもの。コンプレックスにもなったが、そういう母に憧れもした。それは多分、他人としてだ。人のために見返りを求めずに尽力する女性だということは分かっていたから、責めるのも苦しく、よく分からない寂しさをよく感じた。

 

母は仕事を、多分本当に辞めるのだ。近々そのタイミングが来るようだ。40年近く働き続けた。彼女の人生だ。母は仕事が好きなんだと思う。私が地元に帰って、旧姓を名乗るタイミングがあると、母の名前を出されることがよくある。私は何も関係ないのに、深々と丁寧にお礼を言われる。仕事を愛した母は、同じく仕事にも愛されたようだった。

 

そういう母を、娘の私は30年近く責めた。小さい子どものまま、”お母さん何で寂しくさせたの”と、どうにもしてやれないことを言われ続けたのだ。

 

感謝を伝えるのを忘れていた。甘えていたのだ。何というか、ほんと小さい子どものままだった。

 

お母さん、40年ありがとう。でもまだ一緒に仕事してみない?と、言いたいのだ。お母さんの軌跡を形にして、本棚に置こうと言いたい。その為に、これから私は頑張ると。私に作家の才能はないけれど、コンサルティングはできると思う。母のしたことは、偉大だと今なら充分わかる。50を過ぎた母が異例で大学の講師になった。当時大学院の博士課程にいた私より先に。地元は、以前住みやすい街のランキングで全国でも上位になった。そこでは「小さな街だが福祉が充実している」と言われていた。

 

きっと母のストーリーや知識は面白い。そして、救われる人がきっといる。お母さんにはお世話になってね、と言ってくださった方々のように。愛される本を母は書ける人だろう。

 

何だか支離滅裂になってしまった気がするが、そういう計画を立てて、遂行するのが今の目標だなと思ったのです。思いつくのは簡単。終わらせるのも簡単。続けるのが難しい。地道にコツコツと、母を説得しながら、一冊出したい。きっと、絶対面白いですから。

 

頑張りどころです。

 

ともだち

久々に会う友人と話した。私は最近、ちょっと辛いことがあった。どうしようもなくなって、この友人の手を借りることにしたのだ。

よかった。楽になった。

色々説明しながら涙がぼたぼた出てきてしまった時に、私の手にアロマを一滴落として、擦り合わせてくれた。ワイエルジョイのいい匂いだった。頭を使わないとはそういうことだ。感じるとはそういうこと。忘れてた。一生懸命だったから、必死になったから、コントロールしたくなって、頭を使っていたのだ。

映画が好きだ。物語が好きだ。幼い頃からの習慣だったし、物語の世界は私の中でルールだった。こうあるべき という世界。

目の前の現実もそうだと思っていた。こうあるべきという世界じゃないと、腹が立った。義理人情仁義礼。それは正義だとも、美だとも思っていた。でも、映画は私の人生じゃない。私の物語じゃない。忘れてた。色々な人がいるのだ。当たり前のことを忘れて、目の前の現実をいつもコントロールしたかった。うまくいかないと苦しかったし、うまくいくと誇らしかった。そうした波の中で、一貫していたのは「疲れ」だ。

もう一度言うと、私の人生は映画ではないし、出来上がった物語でもない。
私の人生は私の人生だ。生きた現実で、現実はナマモノ。可塑、変化は当然で、本当の本当には予測できない。人も出来事も世の中も。出来ると思っていたのだ。映画は現実だと思っていたのだと思う。

匂いはダイレクトだった。考える隙間もなかった。疲れた脳みそに、花の優しい匂いはダイレクトに伝わった。論理も合理もない。匂いがあるというだけ。いい匂いは、楽だった。ありがたかった。感じるというのは、頭を使わないことだと初めて知った。

時々そういうのが必要だと言われた。物語を生きてるわけじゃない。生きてるから生きてると。主人公じゃない。あなただと。人間として生きるのだと言われた。答えなどないことはいくらでもあるのだ。混乱したら、匂いをかぐといいとも。

いい匂いの手でこの文を作っている。
忘れたくないからだ。明日にはこの匂いは消える。匂いはまた買えばいい。この気持ちを忘れたくない。ありがとう しほさん。だいすきだよ。

どこかではなすはなし

 

向田邦子 おしゃれの流儀 (とんぼの本)

向田邦子 おしゃれの流儀 (とんぼの本)

 

 

私は一番好きな作家は誰かと聞かれたら、迷わずに「向田邦子」と言う。

 今回のこの本は、"本に疲れた時になんとなく手にとってしまう”1冊。

 

私は、ものすごくペーペーだけどライターの仕事に就いている。基本的には毎日文章を書いたり、出来上がっている文章の校正をしたりする。大なり小なり、月に約26本の原稿を日本中のどこかへ提出して、お金をもらう。


時々自分が書いたものも含めて、色んな文章に疲れる時がある 。今後のこととか、妙にリアルな現実に打ちのめされて落ち込む。妄想だから理想は高くすればいいのになと思いながら、そうもいかないことを分かって、落ち込む。そういう時は、読書も文章も、どの活字も、なんだか息苦しくなる。 

 

でも、この本は別だ。逆に何にもしたくない時にいつも目に入って、手にとってしまう。向田邦子という女性作家の、素敵なお洋服をただ眺めるだけ。この本のト書きは読まないことが多いので、文章に関してはうろ覚え。この本は、ただ写真を見たい。

 

ここに載っている服は3,40年近く前の服や鞄、靴。でももし街の中で、このファッションの人が歩いていたら、あの人素敵だなと思うと思う。それはきっと私だけじゃないと思う。

 

明日着てみたい服が、最後まで詰まっている。しかもそれを向田邦子が選んで着ていたというところに、何だか励まされた。憧れるっていう力は無条件にリセットしてくれる。

 

私が思う向田邦子のすごいところは、彼女の頭の中にはいつも何かイメージがあって、まずそれがかなり精密なデザインであること。それからそれが正確に具現化できることだと思う。それは小説でも、エッセイでも。彼女の手から生まれるものはすべて。乱れているような描写も、いつも品がある。

 

この本を見てると服も同じだったんじゃないかと思う。どの服も、誰が着ても似合うものではなくて、向田邦子のために作られたような。向田邦子が着ると1番しっくりくるような服ばかり。

 

この本の主役は、もちろん向田邦子だから意味がある。でも、作家としてどうこうとか、エッセイストどうこうだとかを置いといたとしても。ただ単純に「そういう女性になりたい」って思える本だった。女性として、見知らぬこの女性のファッションに憧れた。

 

いつかこれになりたいって、しがらみを知らずにあっけらかんと言うような、そういう子どもの頃の何かに憧れた気持ちへとリセットできるような。そういう本。

 

 f:id:kotolicomyt:20170519014905j:image

なまえをつけてやる

f:id:kotolicomyt:20170510191702j:imagef:id:kotolicomyt:20170510191713j:imagef:id:kotolicomyt:20170510191707j:imagef:id:kotolicomyt:20170510191720j:imagef:id:kotolicomyt:20170510191723j:image

 

 

啓蟄してきた虫さん達の季節ですね('A`)

梅雨とか蒸し蒸ししたシーズンの虫は、なんか特に名前つけないとやってられません……

 

消えなかった小さな話

たとえ万人受けしなくても、自分だけの小さな話を忘れてはいけないと思って時々書いています。それを公開するのはやっぱり慣れないけど、でもまあ。夜だから何書いたっていいのさ。

(今回はちゃんと下書き保存をこまめにしたので消えませんでした)

 

 

 

1.おかあさん

さみしそうな 母さんの顔

こどもみたいな顔しちゃって

昔はもっと平気そうでドライだったのに

大丈夫よ って軽く抱きしめてくれて

今日からは 私が大丈夫よって

抱きしめる

私の方が平気そうに振舞わなければならないよ

 

おかあさん ずっとわたしの

おかあさんでいて

わたしより せのたかい おかあさん

  

少しそう思って、

でもそれはもう忘れることにした。

 

 

 

2.かわり

川を越えることに慣れてしまった

特別な旅だったのに

川を無視して携帯をいじるようになってしまった

辿り着くまでのすべてを見逃したくないと

思っていたのに

 

 

 

 

おしまい。